RikoStyle

個人的に気になったことをまとめています

高校の単位が足りなくなった時

私の経験を話します。

高校の時のことです。家の中がかなりぐちゃぐちゃだったことがあり、学校よりもバイトオンリーで過ごした3年間だった。

父は単身赴任で家におらず、母と祖父母と暮らしていた。父がいなかったため、母と祖父母の口論は毎日のようにあり、それが凄く苦痛だった。

父が帰ってくれば、母と口論。日々、ケンカしてる家庭で過ごしてきた。

それが嫌でアルバイトという逃げ場を作り、バイトに没頭したのかもしれない。

口論が絶えないのがとにかく嫌になり、9月に入ると学校に行くこと自体、嫌になってきた。まあ、引きこもりがはじまった。

将来、看護師になりたいと願う反面、別のこともしてみたいーとおもう自分がいたのだ。

すると、学校に徐々に行かなくなり、二学期の真ん中あたり?かな。単位が怪しいと告げられ、卒業できないかもしれない。。。と親に連絡がきた。

当時、父は単身赴任。家に帰るのは数ヶ月に一回、そんな父が怒るためだけに帰ってきて怒鳴り散らす。はっきり言って怒ってもムダ。高校生だし、右から左に流すだけ。

たまにしか帰らない父にわたしも反発するし、母は怒りをあらわにしながら涙が止まらず。母は私の胸の内は聞こうとはしなかった。

単位が足りないのが、体育。当時、体育が2つあって、ダンスは大丈夫だけど普通の体育が足りない。

当時、私の担任だったさとう先生。丸い体で色黒な、50歳くらいだったのかなー!?
おそらくベテランで、国語の先生なのに、体育の先生に掛け合ってくれたらしくマラソン大会の練習に3回くれば単位はくれると言われた。

学校に行くのがとにかくおっくうで、だましだまし12月まで通った。

進学校だったので、1月からは行かなくても問題なし。12月の半ばになるともう数日だけ学校にいけば、解放されると思って、もう学校にはうんざりしてた。

そして、この欠時が多かった代償が入試に全て失敗してしまったこと。大学はもちろんのこと、専門学校すら受からなかった。

当時はなぜ落ちてしまったのかわからなかったが、いまはよくわかる。

欠時が多い=社会不適合者

となる。

心の病は自分でしか治せない。周りのサポートは必要だか、最後は本人がいかに未来に希望が持てるかが鍵。

私が立ち直って、今があるのはやはり過去の経験があるから。

欠時が多いと、就職してもその癖が出てしまう。

今日はいいかー

と思うのではなく、

いや、今日頑張ったら絶対いいことある!

と考え方を変えてみる。

こんな風にして、わたしは今ここにいる。